2015年3月 9日 (月)

放送大学の学習メモ

Twitter逃避でご無沙汰しています。

仕事と勉強、辛くないといえば嘘になりますが、決して無理ではありません。

大勢の先輩が卒業されているのですから確かですよね。

とはいえ、私は放送大学の学習時間を確保するために、ココログ広場という@niftyのコミュニティを退会しています。

みなさん、お元気でしょうか?

お世話になったコミュニティのみなさんの応援をもらって入学した手前、下手な成績を残すことができないわけで。

とりあえず、サボらずやってますよ~!的な報告記事という位置づけでっす☆(>ω<;

選科履修生(大学の科目履修生に相当)で1年経て、昨年の10月から全科履修生となりました。

今年1月末の単位認定試験で、通算3学期在学となります。

2学期目で初めてD評語の落第点を喰らったため、今期は気合いを入れて臨みましたよ。

もう1度白状します。

数学は苦手ですぅ~っ!(@△@;

すっかりトラウマとなって、今期は数学的要素を極力排除しましたからね(ダメじゃん!)。

身近な統計のために犠牲となった文化人類学(’14)も、再試では○Aの評語をゲット。

下手にCで単位を取るよりはよかったかも!?(^^;

「2015_1_housourishuukeikaku.xlsx」をダウンロード

1科目再試D評語が隠れているとはいえ、一応すべてA以上の評語を確保できました。

結果を見た時は安堵しまくりで、ポックリ逝ってしまうんじゃないかと思いましたよ。

来期は博物館科目を中心に人文学系を勉強してみます。

今後もブログのUPはあまりできませんが、Twitterで他愛もないつぶやきをしています。

http://twitter.com/maru_nihonkikou

こちらもよろしくお願いします。

一昨日の土曜日に、愛知県東栄町布川の花祭りに出かけてきました。

お約束はできませんが、できたら次回のブログで花祭りを取り上げたいと考えています。

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2014年10月 7日 (火)

アニキ☆勉強部屋奪還計画!

え~、またもやずいぶんご無沙汰なまるでございます(ペコリ)。

お盆休みの前は「試験も終わったし、おいらは自由の身☆」と、今思えば大勘違いだったのでございます。

単にテスト勉強に追い込まれていて、1ヶ月程スケジュールのチェックなどに見向きもしてなかったんでござんすよ。

あれよあれよと月日は流れ、気付けば季節が秋になっちゃったい!(>ω<;

はぁ~、食欲の秋だねぇ~・・・。

訂正します。

年がら年中食欲の季節でごわす♪

じゃなくって!今回の記事は・・・ムフフ、ついに妹からオレ様の部屋を奪還するぜ!ですぅ。

いやぁ、猫っ被りな妹は11年も前に嫁に出ているんですけどね。

妹が嫁に出る半年くらい前に、両親が「コレが最後だ!」と念押しして増築してくれたんですわ。(ありがとうございます~☆(-人-))

1階は両親がくつろぐリビングで、2階がおいらの部屋と。^^

この住まい、1/3ずつ築年が違ってまして。

前1/3は築50年のバラック、真ん中1/3は築30年のボロ家(一部強制出資でリフォーム済み)、後ろ1/3が築12年の並クラスでっす。

生まれてこの方、親不孝三昧なアホ兄妹は、バラック部分の部屋を半分に仕切って自室にしてきたわけなんですわ~。

で、並クラスが出来上がったときに妹が「私、もうすぐこの家を離れるから、残り僅かなこの家、あの部屋で生活したいのぉ☆」みたいなことをぬかしやがったよ。

アホ言ってんな!と思いましたが、妹には極甘なオヤジが「そうかそうか。」と・・・どないなっとんねんなっ!(≧ヘ≦)

見事妹に部屋を乗っ取られてしまいましたっ!。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

まぁ半年か。

しゃーない、出資者には逆らえんわ・・・。

そして季節は巡り、妹も嫁に出て、カレンダーも何回か取り替え、おっ来年はおいら年男じゃんっ!?・・・っていうかちょっと待て!

「あの部屋、オレの部屋じゃなかったんか?」

「まだあの子の荷物がそのまま置いてあるんだよ。」

うん、ベッドの上にどでかいクマさんが我が物顔で座っとるわ・・・。

フツーならここで(いや、もっと前に)荷物片づけて部屋を移るわけですよ。そうでしょ!?

ところが!

「あんた、いい年して未だに極楽トンボで!結婚するまでは今の部屋でガマンしときっ!!」

・・・なんやそれ。

わけわからん。

当時30半ばにして独身を謳歌している自分に、親としては腹立たしいものがあったんでしょうな。

かくして、どでかいクマさんのぬいぐるみが留守居役となって11年の歳月が流れたわけです。

すごくもったいないことしてるよなぁ。^^;

その間、おいらは朽ち行くバラック部分の部屋で過ごしてまいりました。

実はこのバラック、家の造りが簡易倉庫だったのです~!(涙)

そのため屋根はトタンのようなものが被さり、雨音がうるさいわ、夏は熱を吸収して灼熱地獄になるわ。

冬は至るとこから隙間風で、ファンヒーター全開にしても15℃しかならんわで、よく耐えた、オレ様☆

まぁ、妹が並部屋狙ったのも無理ないわな・・・。

しかし昨年くらいから風向きが変わってきた。

それまでも仕事の持ち帰りなんかでデスクは使ってたけど、小学生以来の学習机。

机も手狭だし、部屋の照明も昭和のままだから辛かったんだよね。

放送大学に入ってまかりなりにも単位を取ってきてたし、部屋を使わないのももったいないと。

そう!機は熟したのれ~すっ♪(≧▽≦)

手始めにニトリへ行って、デスク、机、ワゴン、デスクライトなんかを発注。

アマゾンでミニコンポやPCなどを発注。

すでに今朝からいくつか届き始めているし。

後は大量の本とCD、楽器、今使っているPCをどうしようか模索中。

もうすぐ快適な勉強部屋が手に入ります♪(>ω<)

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2014年9月14日 (日)

放送大学に継続入学しました。

しばらく休眠状態で、久しぶりのブログになります。

昨年10月に、選科履修生として放送大学に入学しました。

入学した経緯については以前のブログに書きましたので割愛しますが、1年間の科目履修で何とかやっていけるかな?という手応えがありました。

とはいえ、第1学期では初めて単位を落としちゃいましたっ!(>_<)

私、数学が超苦手なんです・・・。

腹をくくって基礎科目の“身近な統計”を取ったのですが・・・。

初めてテキストをめくった日、パラパラっと目を通して・・・。

フリーズしましたん☆orz

基礎科目とあって試験はそれほど難しくなかったのですが、やはり概念を身につけるにはそれなりに勉強しないといけませんでした。

第1学期は放送授業3科目6単位、面接授業5科目5単位の計8科目11単位で望みました。

面接授業は1科目1単位ということもあり、なんとか理解不能に陥るレベルまで講義が進まず助かりました・・・。

↑こんな態度でいると、そのうち大ヤケドしそう。(^^;

問題は放送授業。

とにかく“身近な統計”を集中的にやり・・・過ぎて、興味のあった“文化人類学”を落としましたぁ~っ!

英語の基礎科目“発音をめぐる冒険”はなんとかなるやろ?と思い、とにかく試験前の1ヶ月すべてを“身近な統計”に集中させました。

おかげで“発音をめぐる冒険”と、何とか“身近な統計”の単位を取れましたが、いちばん視聴が楽しかった“文化人類学”を勉強する時間が無くなって、無念の再試験ですぅ~。(T_T)

民俗学の隣接領域の学問ですが、環世界や争いと和解の諸相などとても刺激を受けた内容です。

環境と開発は相反するものと捉えがちですが、そう単純でないことも学びました。

次学期の再試験では、○Aの評語を取りたいです。

来月10月からは、教養学部(人間と文化コース)の全科履修生として学位取得を目指すことになります。

第2学期の登録は、放送授業6科目12単為と面接授業4科目4単位、そして再試験の1科目2単位の計11科目18単位です。

努力が必要ですが、数学の知識が必要な科目はほぼ排除しておきました♪(^^;

先に述べた「争いと和解の諸相」ですが、“グローバリゼーションの人類学”の副題にもなっています。

面接授業は定員オーバーの抽選で、8科目も振るい落とされてしまいました。

残念ですがリーズナブルな学費で実現できる範囲を越えてまで、定員を増やしてほしくもありません。

その中で抽選という仕組みは、合理的だと思います。

目玉は2つ。

千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館での“日本考古学”。

歴博は博物館でもあり、教育・研究機関でもあります。

大学共同利用機関法人 人間文化研究機構の施設で、総合研究大学院大学の歴史・民俗などの研究科も設置されていて、学芸員さんのほかに教授・准教授がいらっしゃるのです!

大阪の吹田市には、同機構の国立民族学博物館(民博)もあります。

第1学期には歴博:小池淳一教授の“民俗文化論”の授業で、知識だけでなく多くの感銘を受けました。

来期の“日本考古学”では、なんと教授陣総勢7名で8コマの授業をしてくれます。

先生は時限交代で勢い余って、学生は時間とともにくたびれて・・・なんてことにならなければいいんですけど。

もう一つは山梨SCでの“活断層と地震災害”。

まだ中学生の頃、隣に住む中学校の先生の影響で地学へ進みたかったんです。

3年間、夏の吹奏楽コンクールが終わると、科学部の連中と石を拾ったり地層の見られる露頭に出掛けたりしたものです。

ところが数学がダメで諦め、グレて荒んだ・・・いえ、何でもありませんっ!(>△<)

第1学期では東京多摩SCで海洋地質学に携わってこられた藤岡換太郎先生の日本列島ジオツアーを受講しました。

ジオツアーの講義は座学でしたが、山梨ではフィールドワークもあり楽しみにしています。

藤岡先生も三浦半島巡検の授業があるのですが、平日に休みが取れませんでした。

現時点での履修済み・履修予定の一覧です。

「housourishuukeikaku.xlsx」をダウンロード

まだまだ卒業まで遠いけど、私の場合は卒業してからが真のスタート地点です。

まだイメージは断片的ですが、アカデミズムではなく在野としての活動で、身の丈に合った小さくとも社会への貢献を目指したいと考えています。

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2014年5月11日 (日)

郷土の歴史を共有すること

国設だけではなく、ほとんどの自治体には博物館・美術館や類似する施設があり、民間のものも含めると相当な数に上ります。
おそらくもっとも数が多いと思われるのは、地方史(民俗・産業・交通等)を中心に取り扱ったものではないでしょうか。
いわゆる箱モノともいわれるこれらの施設の内、博物館法における博物館や博物館相当施設は比率にすると僅かなものです。
多くは、資料館、記念館と呼称する施設なのです。
博物館は何が違うかというと、絶えず調査・研究が継続されているということになります。
もちろん博物館でなくとも同様なケースもありますが、法令上博物館として存在するにあたっては必要不可欠な要件となります。
このように博物館は設置だけではなく、維持・運営にも多額の予算を必要とします。
地方の中核市に満たない自治体が運営するのは、困難なことが多いようです。
資料館といった類であれば、博物館に比べ低予算で維持できます。
しかし博物館とは異なり、蒐集能力に比べ多くは情報発信力に欠けています。
このため地域の希望で設けられたのにもかかわらず、年月の経過とともに存在意義に疑問がもたれてしまうケースもあります。
地方史を取り扱う資料館は、不要なものでしょうか?
土曜日に静岡県西部にある森町立歴史民俗資料館に行ってきました。
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明治18年に建設された周智郡役所を地元有志の人たちにより解体・移築して使用しています。
展示は、民具・祭祀用具・考古出土品・行政資料等、幅広く収蔵されています。
なによりこの建屋自体も史料価値が高いものです。
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この種の資料館で最も多い収蔵品は、多くの場合、その土地で人々の生活とともにあった民具です。
これらの民具は開館にあたって蒐集されるわけですが、民具というものはその性格上、所有者の理解を得られなければ蒐集できません。
所有者の日常生活とともにあった物品ですから。
森町の資料館だけではなく、多くの資料館では保存状況がよくありません。
いくらか分野別に区分けされていながらも、雑多な陳列であることも多いのです。
森町では蒐集品の置き場が不足している状況でした。
これらの収蔵品は、有償・無償という括りはともかく、社会信託の形で集められたわけです。
森町の場合は、建屋自体を地元有志が移築して用意していました。
公共の財産というだけでなく、その地域の人たちがこれまでの暮らしや文化を未来に承継することを願って設けたものというのは、部外者である私の当て推量とはいえ間違ってはいないでしょう。
これらの施設を維持するにも、当然経費が掛かります。
自治体立施設であれば、それは地域の方の税金で賄われています。
こうした施設の入場料は概して¥100~¥300程度であり、利用者の大部分を地元の初等教育における社会見学が占めるのではないかと推測します。
元より運営に対して黒字など期待できるものではありませんし、そのような期待は設立趣旨に該当しないものです。
森町の場合は、無料でした。
長野県のとある町の同様な資料館について、当選回数の浅い町議が新自由主義よろしく、収益能力のない施設については常設(常時開館)を廃すべきと論じたと聞いています。
事実であれば、とても残念なことです。
現状ではシルバー人材センターへの委託で管理人さんが1人常駐されていますが、「その人件費や光熱水道費」と「社会信託された収蔵品の公開による地域文化の発信と承継の価値」を天秤に掛けることに疑問を持ちました。
多くの町や村が過疎化に悩みつつも地域の光を絶やすまいと努めている今日、それに逆行する施策を採ろうとするのですから。
この資料館では、地元有志が郷土史の勉強会としても活用されていました。
その町はそれなりの暮らしに必要な店舗はありますが、第1次産業は後継者不足と斜陽化に見舞われ、他に大きな産業がありません。
しかし、点在する各集落に古から伝わる伝統芸能や祭祀が多く、これらは地域の誇りであり光でもあります。
中には地方政治家がワンマンで作ってしまったというものもあるかもしれませんが、私の知っている資料館は、その地域の社会信託の精神が垣間見られるものでした。
ただ年月が経ち、顧みられることがなくなりつつあることも事実のように見受けられます。
感覚的にはそれはちょうど、普段は鉄道やバスを使わないけど、存在していることが地域の安心と感じられることにとてもよく似ています。
そんな地域の多くが、鉄道開通の際には村を挙げての大祝賀式典を催したのも今は昔。
ですが利用客が減れば、いずれなくなってしまうのは仕方のないことです。
いくらかの方は、ここで論調が変わったか?と思われるかもしれませんが、そうではないと申し上げておきます。
やはり資料館というものも活用されなければ存在意義は減じてしまいます。
件の町議のような発言を誘因することにもなるのです。
先に記しました通り博物館というものは法令要件上も自主運営を求められる調査研究機関ですので、自発的活動が行われます。
(もっともそれは黒字にするためを第1義にするわけではありません。)
資料館にはその仕組みがデフォルトで用意されていないわけです。
設置・管理者か?もしくは社会信託した地域の方々の中の有志か?
誰がアクションを起こすかは問題ではありません。
社会教育といった概念にとらわれずに模索すれば、新たな地域の光を見出すことができると信じています。

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2014年5月 5日 (月)

2014春の南信探索5

阿南町農村文化伝承センター・歴史民俗資料館には、正午を挟んで2時間ほど滞在していました。

・・・お腹がグ~ッ☆(^^;

とても飯田市内までガマンできんっ!

ふっふっふ、阿南町内にとっておきの食事処があるかんね♪(>ω<)

新野千石平から、これまた日本の土木技術大炸裂な道を・・・ループ(高架橋・トンネル多数混在)で目が回りそう・・・下っていくとぉ~・・・。

同じ町内だけど30分は走ったような。

阿南温泉かじかの湯に到着だいっ!

だけど時間がないから温泉はパスですたい。

じゃ~ん☆

隣接して“バイキングレストラン旬菜厨房しゅふふ”さんに突撃ぃ~っ♪

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1回目♪

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2回目♪

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3回目♪

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ふ~っ、おなかがいっぱいですぅ~・・・。

もう温泉入って帰ろうか?(爆)

特におからサラダが美味しかったなぁ。

あと、地元産の赤唐辛子、少量でピリッと辛くてお気に入りです。

さて、初心貫徹!?

飯田市の飯田市美術博物館へレッツらゴ~!(^ω^;

途中、峰竜太の故郷である下條村を通って、ようやく・・・。

ナビ(iPhoneのGoogle Map (^^;))が表示する場所は坂道の途中。

はは~ん、この崖のような急斜面の上にあるわけね・・・。

飯田市は戦後すぐに大火にみまわれてしまいましたが、城下町でした。

このためか路地が多くてなかなか行き着きません。

無駄にぐるぐる回り回って、ようやっと到着。

30分はムダにしたな。orz

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飯田市は南信の中心都市とはいえ、人口40,000強の小さな町です。

ですが規模の割に文教施設や公園施設の整備に力を注いでいる街です。

この美博にも複数の学芸員さんがいて、付属施設に柳田國男記念伊那民俗学研究所が置かれている柳田國男館があります。

一通り常設展を見終わると、もう16:30。

一昨年に開催された“柳田国男没後50年企画展「民俗の宝庫<三遠南信>の発見と発信

-柳田國男・折口信夫らによる調査研究のあゆみ-」”の図録を入館カウンターで見つけて購入。

他にも毎年たいへん興味深い企画展をしているようです。

要チェックです。

で、時間切れで柳田國男館には入館できませんでしたっ!(><;

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次の機会に訪れることにしますかね。



美博の駐車場から、iPhoneをPi・Po・Paっと。

電話で晩ごはんの準備完了!

座光寺交差点を右折して、天竜川を越えます。

夕陽を浴びて、たそがれドライブ~♪

みなみ信州農業協同組合喬木支所が経営するAコープたかぎ店にやって来ましたよん。

ちょっくらご当地の食料を探してみましょ。

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お惣菜コーナーで目を引くのは、鯉のうま煮。

しれっと1パック¥900!というビックリプライスですよ。

私は食べたことがないのだけれど、故郷の味として育った人にとっては親しみのある料理なのでしょうね。

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こちらは遠山郷と呼ばれる旧南信濃村・旧上村(いずれも現飯田市域)で食文化と根付いた“ジンギス”です。

北海道滝川市発祥のジンギスカンが有名ですが、日本には各所でジンギスカンが根付いています。

横のつながりはないのですが、発祥はどこも同じような理由のようです。

戦後、羊毛生産を目的に羊の飼育に乗り出した地域があります。

しかし昭和30年代になると海外からの輸入品に押されて羊毛生産が振るわなくなります。

で、羊をどうしよう?食べちゃおっか!?ということになっちゃったわけで。(^^;

多少の相違点はあれど、ジンギスカン(ここ南信ではジンギスと呼びます)という食べ方が開発され、いずれの地域でも食文化として根付きました。

ものの数年で地域の羊を食べ尽くしてしまい、主にニュージーランドやオーストラリアなどから輸入するようになりました。

それでも食肉としてふさわしいサフォーク種を北海道士別市・白糠町、長野県旧信州新町(現長野市域)などで生産されるようになっています。

よく知られるジンギスカンの根付いた地域は、北海道のほかに岩手県遠野市、長野県旧信州新町と旧南信濃村・旧上村です。

遠山のジンギスは、旧南信濃村和田にあるスズキヤさんが考案したものが先駆けとなりました。

ジンギスのタレに漬け込んだ肉を焼いて食べる調理法は、もともと古来から山肉を重要なタンパク源としてきた地域性にも合致して、すぐに受け入れられたようです。

今では写真のようにマトンやラムだけでなく、とりジン・ぶたジンなども販売されています。

ちなみに我が家は私以外、羊や山肉を食べないので、仲間たちとBBQでもしない限り購入できない状況です。

そのため年に1回ほど和田にある星野屋さんへ出向いて、ジンギスや山肉料理をいただいています。w

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最後に即席麺コーナー。(爆)

長野県北信地域で販売されている信陽食品株式会社の“ポンちゃんラーメン”。

北信地域以外では、あまりお目に掛かりませんが・・・ココには醤油味の袋めんがあった!

しょうゆ味なのに、わずかに味噌味っぽく感じられるのですが、おそらく気のせいです。^^;

写真の醤油味と味噌味とあって、袋ラーメンとカップめんの2本立てで展開中です。



さてさて、適当に時間も潰せたし、夕食をゲットすることに。(^w^)

喬木村は、「大造じいさんとガン」などの作品で知られる児童文学者:椋鳩十の出身地です。

鹿児島県立図書館長として永く活動した椋鳩十は、帰郷の度に喬木村阿島にある宮本旅館を常宿としていました。

南信の阿智村にある宮大工:三清建築さんのホームページによりますと、伊那北部・駒ケ根でソースかつ丼が誕生する以前に、ここ宮本旅館では既にソースかつの提供を始めていたようだと記されています。

それを知って以来、幾度かお弁当を作ってもらって食しましたが、カリカリ衣のカツがとても美味しい!

残念ながら宿泊か団体予約でないとテイクアウトになってしまうのですが、中年おっさんの一人旅ですもん。

コンビニでお茶買って、駐車場の車の中でワシワシ食べちゃいます♪(>ω<;

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今回はソースかつ丼¥800にしてみました。

まいう~♪(^ω^)

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このボリュームと美味しさは、なかなかのものです。

しかして真っ暗となった夜の復路の山道の運転は、冷や汗の連続でした。

そうなることは分かっていたんだけど、食欲の暴走をついに抑えることができなかったまるでしたん!

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2014春の南信探索4

新野地区に限らず、阿南町には多くの伝統行事が残されています。

中山間地域である阿南町は、やはり産業に乏しく、少子化の影響もあるとは思いますが人口は減少し続けています。

そうなると気になるのが、様々な地域行事の担い手不足や継承の難しさです。

集落の規模や地理的条件等によっても異なるわけですが、これは阿南町に限らず各地で見受けられる事象です。

先に記しました通り、こちらの管理人さんは私の勤務先と同系列のグループ企業のOBの方ですので、サラリーマンとしての地元行事との関わりについて伺ってみました。


新野地区は比較的第1次産業従事者が多く、高原でありながら起伏の緩やかな盆地で1500人ほどの人口を有しています。

そのような環境の中、いわゆるサラリーマンとして生計を立てている人は、少数派であると思われます。

管理人さんとのお話の中で、行事参加のネックになるのは、祭典の日が休日ではなかったことを挙げられていました。

私の居住地のように大半がサラリーマン家庭の場合、多くの行事や祭典は土日祝日に移行しています。

本来の祀りというものは催行される日に特別な意味を成しているはずで、曜日の移行はやむを得ない事情として実施されたことでしょう。

ちなみに明治に太陽暦に移行した際に、季節がズレてしまったという話も聞きました。

ですが今日でも旧暦に則した行事も多くあります。

(沖縄には特に多いです。)

管理人さんの場合、祝儀としていくらか出すことで行事への参加を免除してもらっていたとのことです。

新野地区を代表する行事である“新野の雪祭り”は、毎年1/13早朝~夕刻と1/14夕刻~1/15朝まで行われます。

私もそうですが、中小規模の事業所に勤める人にとって、有給取得はとても難しいものです。

現在の私の職場の状況を事例に取りますと、2人の内最低どちらかが出勤していないとやりくりできません。



昨今の“祭り”といいますと、フェスティバルやコンテスト形式、あるいはバザールのような営利的性格なものを含むようになってきました。

私の個人的心象では、伝統的に執り行われてきた祭典を含んだ扱われ方をされているように思います。

このような状況の中に、地域での祭典を理由に有給を取得する難しさがあるのではないでしょうか?

伝統的な祭典、民俗芸能はフェスティバル等とは違い、地域の人々が地域のために催すものです。

これらの行事はドンチャン騒ぎではなく、外部の人たちが観に来て有名になることなど、副次的な出来事なのです。

このため、特に伝統行事等を持たない街に暮らす人にとっては、祭典のための有給に理解が乏しいこともあり得ます。

都市部でも大きな伝統的行事はたくさんありますが、小規模な地域的行事の多くは実施や継承に困難を抱えています。



グローバル化した今日、私たちは街の画一化した生活様式に疑問を持たなくなりました。

確かに今でも日本語を話し、和食を食し、桜を愛しんではいますが、私たちは日本人というより東京人になっている感が拭えないでいるのです。

近代より後、現代に至るも一部において国家主義的な思想を有する者がいます。

しかし国家が国民を育てたわけではなく、個の集まりが家族、集落、地域を作り国を成しているという認識を見失ってはいけません。

またこの国は、決して単一の民族で成り立っていないことにも目を背けてはいけません。

そうであるならば、数多ある地域の光を簡単に摘むようなことはできないはずです。

もちろん田舎では実現できないこともあるし、街の暮らしを享受したいという思いもあるはずで、へき地等に暮らす人々が故郷を偲びつつも離れることがあるでしょう。

しかしながら故郷を守りたい人たちが、願いかなわず都市に流出しているのも相当な数に上がるものと思われます。

時すでに遅しですが、グローバル化の功罪を一度検証すべきだったのでしょうね。

そして私自身は、街の暮らしを享受しグローバル化による恩恵に預かった身としてどう生きていくのかを模索しなければなりません。




長年旅をしてきて民俗という分野に興味を持ちましたが、現在を出発点として過去に遡るだけではなくこれからの成り行きにも関心があります。

その中で素人としての感触ですが、民俗学という学問は行事には関わるものの、その維持や継承に関しては傍観者過ぎるように見えてなりませんでした。

文化庁や自治体が無形文化財等に指定すれば、それは里の者にとっても名誉であり喜ばしいことです。

ですが僅かな補助や映像記録等の措置は行事自体の存続が保障されるわけではありません。

里の者にとっては祭典の存続より、集落の存続の方が急務なのです。

集落が維持されれば、当然に祭典も続きます。

行政も学者も、そうした点には目を向けません。

以前訪れた山村の方もこちらの管理人さんも、同様な思いを口にされていました。

民俗学でとらえる事象とは、生活の変遷で消えていくものも多いものです。

それを記録し、後世に残す意義の重要性は疑いません。

ですが、人々が残したかったという無念の思いと一緒に、いくつもの民俗事象を博物館送りにするだけの学問であれば、成果の社会への還流という役目を放棄するに等しく、民俗学は衰退していくことでしょう。

日本でのこの学問は、成立の過程から国外との交流が少ないという事情があります。

反面、隣接する諸学問から、あるいは諸学問への交流は大きいものです。

しかしながらそれは、文学や歴史学に属するものが多く、主に海外での活動が多い文化人類学と比べると社会学・法学に属する分野とは希薄であると感じられます。



昨年より学問としての民俗学に触れるべく放送大学に入学しました。

残念ながら教養学部単科ということもあり、体系立った形での学びには向いていません。

年間10クラス程度開講される面接授業が頼みの綱ですが、遠隔地での開講と定員枠の関係で半期に1講座程度の受講になりそうです。

62単位修得後に、民俗を学べる通信制大学への編入を検討したりしました。

ですが過日の記事に記しました通り、先ずは幅広く学べる放送大学の卒業を目指すことにします。

それは傍観者ではなく携わりたいから。

つまるところ、望まれているのであれば個の光、家族の光、地域の光を灯し続ける力になりたいからなのかもしれません。

もっとも私の興味は伝統行事・芸能だけではなく、暮らしの変遷やムラの交易などもありますから、いずれは民俗学の体系立った学びをしたいという思いはあります。

阿南町農村文化伝承センター・歴史民俗資料館を訪ねて、このような思いに至りました。

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2014年4月27日 (日)

予定変更

どもっ!

花粉の辛い季節が過ぎて、GWの旅程立てるのにワクワクしていたまるでっす☆(>ω<)



・・・でぇ~っ!?(・□・;)

なんと、メインであった長野県阿南町日吉地区の「御鍬祭り」が、祭典中止となってしまいました・・・。

阿南町のHPによりますと、地域のご都合のようです。

地区でご不幸があったのか、あるいは祭典に参加される方を確保できなかったのか理由は存じませんが、直前での発表ということで想定外なことなのではと思われます。

よそ者である私がどうこう言うのは失礼ですし、何より地域の方が地域のために行う祭典です。

またの機会に期待しています。



「御鍬祭り」に結びつけているわけではありませんが、最近考えていることがあります。

民俗を学ぶべく入学した放送大学ですが、現在の放送授業(2単位)には民俗学が開講されていません。

(1990年代には、日本民俗学会会長でもあった故 宮田登さんの授業が開講されていました)

面接授業(1単位)では、年間10クラス程度開講していますが、地元から地域的に遠隔地であったり定員が少ない関係で、体系的に学べるわけではありません。

しかしながら教養学部単科ということもあり、実に幅広い科目構成です。

先のブログでも記しましたが、(乱暴な書き方ですが)これまでの民俗学は傍観者すぎるのでは?と思うのです。

ならば、民俗行事の継続をサポートする側として学ぶことも意義があるのでは?と考えています。

62単位修得してから歴史学部のある他大学に編入しようとも考えていましたが、そうした考えに基づき先ずは放送大学での卒業を目指すことにします。



なんて柄にもないことを書き綴ってはおりますが、美味しいお魚を目当てに新潟へ旅立つことにします♪(>ω<)

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2014年4月 7日 (月)

2014春の南信探索3

ベッケライ・ミンデンさんから、さらに北上します。

途中、道の駅豊根グリーンポート宮嶋を通り過ぎます。

こちらの道の駅では、ミンデンさんのパンモーニングが食べられます。

地元産野菜のスープや豊根特産のブルーベリージャムも付いています。

この集落を過ぎると、目に見えて標高を稼いでいく登り道です。

ですが、ここから県境までは、かなりのカーブがあるものの、しっかりとした片側1車線の道です。

県境の新野峠に近づくと東側の視界が開け、周囲の山々の稜線が見渡せます。

日本の土木技術が成せる技の大炸裂!といった道ですぅ~♪

新野峠は標高1060m。

古来はこの道もまた、塩の道でありました。

愛知県側の道路は県境まで整備されていますが、長野県側は新野峠から新野地区までの約4kmが整備中です。

大型車が対向してきたら、涙目になる箇所がありますね。(^ω^;

そんな道を下っていくと、いきなり視界が開けます。

ここが新野千石平と呼ばれる阿南町新野地区(旧旦開村)になります。

高原性の盆地で緩やかな傾斜を伴うものの、標高1000mに位置するとは思えない開けた土地です。

この地は信州と三河の国境であり、南北・東西へと道の分かれる交通の要衝でもありました。

加えて、高地ながら山の頂からの水脈が地下を流れ、井戸から水を得ることも容易なため、冬の厳しさを別にすれば比較的恵まれた土地柄でした。

といっても、街に暮らす身から言えば相当の僻地と感じることが正直なところです。

ところが、このような環境が今日まで多彩な民俗行事が続いてきた土壌となったのです。

日本民俗学の黎明期、柳田國男とともに礎を築いた折口信夫によってこの地の民俗行事は見出されました。

・・・というのを知ったのは、近年のこと。(^^;

まさか自分がこの地を訪ねるとは思いませんでした。

実はこの地区に勤め先のグループ関連子会社があって、自分の事業所から毎日出荷していたりします。

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新野地区にある阿南町農村文化伝承センター・歴史民俗資料館を訪ねると、管理人さんが関連子会社のOBの方でした。

ウチの事業所、出荷ミスちょんぼ多くてすみませんでしたっ!(>人<;

冷や汗かいちゃったよ~っ☆

管理人さんはシルバー人材センターからの派遣で勤められていらっしゃるとのこと。

田舎の資料館ではよくあることです。

幸いこちらの管理人さんは、郷土への愛着を持たれている方で、様々な展示に丁寧な説明をしていただきました。

伺ったところ、飯田市の柳田記念伊那民俗学研究所にも携わっておられるとのこと。

私もその分野での一学徒を目指す身ですから、その道の先輩ですね。

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国文学者で民俗学者でもあった折口信夫がこの地を訪れたことで、新野の民俗行事は広く知られることになりました。

後に柳田國男を連れ、新野の伝統的な諸行事の貴重性を説き、今日まで絶やすことなく続けられてきた礎の一つにもなりました。

これらの面(おもて)は、厳冬期に行われる“新野の雪祭り”に用いられます。

最初に登場するのは、上段右から2段目の“さいほう”です。

さいほうの像が、近くの道の駅新野千石平に立っています。

ちなみにココの焼き栗はたいへん美味でして、一度は味わっていただきたいものです♪(>▽<)

・・・何の話だっけ!?

そうそう、面の話。

次に登場するのがその右の“もどき”です。

道化役でもあり、面の表情からも窺えますよね?

三遠南信地域の湯立神楽には、部分的にこれら面の類似性が見られます。

ですが朱塗りを基調とした面だけというのは、新野の雪祭りの特徴です。

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面が登場した後、写真左側の競馬(きょうまん)が登場して、手綱さばきを模して現われます。

(写真左側は、“和合の念仏踊り”です。)

この競馬役、かなりの人気だそうです。

このため紙に氏名を記したものを並べ、神職が大麻(おおぬさ)でそれらをこすっているうちに・・・、おそらく静電気で紙が持ち上がり当選!^^;となるようです。

これも永く神の技と思われてきたのでしょう。

ちなみに管理人さんの知人の方は、何度も挑戦されているにもかかわらず、未だ当選されていないそうです。

これを“宣明”と呼びます。

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雪を稲穂の花として、大雪が豊作年となることを願い行われます。

山深い土地ですが地勢にも恵まれ、狩猟や焼畑ではなく古来から農耕を主な糧としてきた地域であることがわかります。

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こちらは4/29に日吉地区で行われる“日吉のお鍬まつり”で用いられます。

見学に伺う予定ですので、その際に記事にしますね。


丁寧な解説をしていただきながら、管理人さんと様々なことを意見交換することができました。

次回の記事は、このあたりのことを記したいと思います。

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2014年4月 1日 (火)

2014春の南信探索2

この日の夜には天気が崩れ、翌日の日曜日は春の嵐との予報。

それでも夕刻まで麗らかな陽射しの中のドライブです。

地元に新東名のインターができたおかげで、だいぶ重宝しています。

とはいえ、10年200,000㎞オーバーの愛車が昨年息を引き取ってしまい、破格の提示に惹かれて、中古のオンボロ軽ユーザーとなった身・・・。

この日のドライブ如何で、今後の活動範囲が決まりますっ!(^ω^;

晴れてはいるんだけど、風がとても強い中での高速走行。

案の定、横風でハンドル取られておっかなびっくりです。

ムーブですから横風弱いの。

ノンターボで5速マニュアル、ナビはiPhoneのGoogle MAP(爆)。

ETCは親会社に買わされた!・・・いえ、自分の意思で購入しやした(コレでいいんでしょ?)。

チキンハートをバクバクさせながら、ネオパーサ浜松で小休憩。

朝ごはん狙いですけどね。

ちょうどテイクアウトコーナーの店舗がオープンして、若葉亭のみかわポークフランクドッグ¥400をチョイス♪

JAあいち経済連の店舗のようです。

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なんで静岡じゃないんだろ!?(^^;

まぁ、大人の事情ってヤツだな、うん。

でもね、コレ絶対美味しいと思ったんだ♪

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ケチャップとマスタードを掛けたら、絵にならなくなっちゃったよっ!(>△<;

目の前でソーセージとパンを鉄板で焼いてくれて、安くはないけどいい朝食をゲット。

ごちそうさま~☆

この先、引佐ジャンクションから三遠南信自動車道を通って、愛知県に抜けます。

新城市北部の鳳来峡インターから国道151号線に合流。

ここからひたすら山間部を北に向かいます。

しばらく進むと民俗芸能“花祭り”で知られる東栄町に入ります。

三遠南信地域では、花祭り、霜月祭りなど、湯立神楽の宝庫なんです。

私は雪や凍結の道を運転する自信がないのでまだ見たことはないのですが、いずれ訪れなければと考えています。

東栄町域に入ってすぐ、JA愛知東の東栄直売所がいつもの立ち寄りポイント。

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併設のレストハウスでコーヒーでも・・・。

「お蕎麦ならできますよ!」

とのお姉さんの言葉に釣られて、ハイッ、山菜蕎麦¥750だいっ♪(>ω<;

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たっぷりのワラビとキノコが嬉しいじゃん♪

こちらの山菜は、ちゃんと地元の山で採れたもの。

「もう1週間くらいするといろいろな山菜が採れるんだよ。」

と、店の主が教えてくれます。

昨年のGWは、こちらで山菜の天ぷらを堪能しましたもん♪

今年のGWも再訪決定!

さてさて、東栄町の次は長野県に接する豊根村です。

うっしっし。

豊根村にも美味しいものがあるんだよ~。

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ドイツパンのお店、ベッケライ・ミンデンさんです。

ドイツで修業され、本物のドイツパンを極めるべくこの土地に店を作られたとのこと。

この土地の空気の中で発酵していくパン生地や清涼な水がミンデンさんの持ち味。

おやつ兼旅の非常食として何点か購入します。

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小麦と塩で作ったカイザーは基本。

今回はカイザーにチーズを乗せて焼き上げた左側のパンをチョイス。

名前、失念したぁ。

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左側はアップルとカスタードクリームのハーモニー。

右側は豊根村特産のブルーベリーを使ったパンです。

他にも特産品の金山寺味噌の入ったパンもあります。

どっしりとしたドイツパンならではの合わせ技でした。

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こちらはお土産。

カールトッフェルはライ麦を配合したパン。

密度の濃いズッシリとした食感が私は好きです。

ミンデンさんのライ麦パンは、ライ麦の配合比率がいくつかあります。

こちらは配合少なめで酸味も少なく食べやすかったです。

スライスして特産のブルーベリージャムや我が家自家製の苺ジャムが合います。

あー、また食べ物だけで記事が終わるぅ~。(・ω・)

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2014年3月31日 (月)

2014春の南信探索1

どもっ!

2月の頭に試験が終わって、のほほん♪としていたら3月の半期締め提出物であわてまくった、いつになっても成長しないまるでっす!(>ω<;

1週間前にようやく締めが終わり、何をしたわけでもないですが自分にちょっとしたご褒美を。

気付けば、最近は春の麗らかな陽気、プラス時折春の嵐。(^^;

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そろそろ茶農家のみなさんが大忙しの季節になります。

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職場のある牧之原からは、茶畑越しに富士山が見える日も。

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桜も咲き始めました♪

うきうき春気分ということで、日帰りで少し遠出をしてみることに。

1泊してもよかったんだけど・・・。

なんせ来期の登録科目、苦手な数学系を取ってしまったんで。(>へ<)

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来期は面接授業重視にしましたが、自分にとっての鬼門は放送授業の“身近な統計”。

テキスト開いて、フリーズしました!(・□・)

高校生の時に数学がダメで文系に転向した身には、トラウマ的なものが・・・。orz

民俗学はフィールドワークが主体の調査ではあるものの、統計を無視することはできません。

社会調査や社会統計にも繋がる科目ですので、なんとかモノにしないと。

詳細は後述しますが、阿南町農村文化伝承センター・歴史民俗資料館を訪れた際に考えたことがありました。

そのためにも自分は民俗学をメインに学びつつも、他の分野にも目を向けなければと。

・・・一見高尚なことを考えているようにも見えますが、頭の中の半分は「何食べよっかなぁ~♪」となっていたことを謹んで記述させていただきますです、ハイ☆(>ω<)

3/29(土)にポンコツ車で出発。

冬用タイヤを付けない大多数の静岡県民ですから、今年初めての信州です。

長野県ってとても広い!

静岡県と隣接しているんだけど、直接通じているのは登山道と林道のみ。

林道は国道152号線の代替道路なんです。

というのも、この辺りは中央構造線にブチ当たっていて、山地崩壊が激しく日本の土木技術を以ってしても開通が適わなかった地域なんですよ。

この数年、長野県の南部、伊那地方(南信地域)に出掛ける際は、この林道を抜けてきました(下図水色交通路参照)。

といっても抜けた先は、日本一の山の中!といわれる遠山郷と呼ばれた地域。(^^;

伊那地方は主に、天竜川の西に中央アルプス、東に伊那山地と挟まれた河岸段丘の発達した地域です。

そして、伊那山地とさらに東の南アルプスに挟まれた山深い地域に、遠山郷や大鹿村といった集落が点在しています。

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これらの地域を中央構造線が貫き、山深い難所でもありましたが、古代から重要な街道の一つでした。

静岡県牧之原市から新潟県糸魚川市を結ぶ塩の道であり、火伏信仰の秋葉山へ通じる道でもありました。

2年前に新東名が暫定開通し、併せて引佐JCT~愛知県鳳来峡ICまで三遠南信自動車道が暫定開通しました。

その名の通り、奥三河(愛知県)、北遠(静岡県)、南信(長野県)が接する地域であり、国の所属は違えど文化的に相互に結びつきの強い地域です。

今回は遠山郷ではなく、三遠南信道を通って愛知県側から長野県に至りました(上図赤色交通路参照)。

今回の目的は、長野県阿南町の民俗行事の下調べと飯田市美術博物館と付属施設である柳田國男記念伊那民俗学研究所の見学です。

モチ、ささやかに美味しいものも!

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